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21回目。

12月のタスクリストが何一つ片付かないうちに、今月もあっという間に10日経ってしまいました。21回目の、『11日』です。

先日の地震&津波の余波がまだそこら中に漂っている感じですが、3.11のときのことを思い出さずにいられなかったという方も多いのではないかと思います。
超沿岸に住む私を心配してくれた友人・知人から、メールやツイッターなどでたくさんメッセージをいただきました。みんな温かい… ありがとうございました。


地震発生時は、私は仕事中でした。地震の揺れによる被害は全くありませんでしたが、ワンセグで宮城県沿岸に津波警報が出ているのを確認したので、すぐにその場に居た全員で避難しました。

奇しくもあの日と同じ金曜日、跡形もなく流された元の場所から 安全な側に少し離れた場所に再建された現職場ではありますが、あのサイレンが鳴ると、否が応でも緊張感が高まります。

避難場所は、周辺で一番小高い丘(と言っても農道の脇道沿いのただの荒れた空き地)でした。正直、『え?ここ??』と思いましたが、間もなく、下校前だった中学生や先生方、お迎えの保護者などでいっぱいになりました。そこはちゃんとみんなで確認済みなんだなぁとちょっぴり感心すると同時に、自分の認識の低さも実感しました…。自分の住んでいる地域(★浜)については避難場所をチェックできていても、それ以外の地域のこととなると全然わからないものだな…。それもどうなんでしょう…。

その後、近くのコミュニティーセンターから非常用の毛布が届けられ、誰かが大音量でかけていたラジオと手元のワンセグで情報を確認しながら、しばらくその空き地で過ごしました。

周辺道路は次第に車が増え始め、あっという間に脇道まで車で埋まった状態で動かなくなりました。
後で聞いた話では、3.11のときに甚大な被害のあった国道が閉鎖され、迂回しようと山側に入った車が農道に溢れたんだそうです。ちょうど帰宅ラッシュ&お迎えラッシュの時間でもありました。

車があまりにも動かないので、路肩や店先などに駐車してそこから徒歩で避難場所まで子どもをお迎えに来たお母さん方もいたし、避難場所の目の前で渋滞する車中の人と情報交換する方もいました。

少しして、私は近くのコミュニティーセンターまで戻って警報が解除されるまで待機させていただき、子どもたちは学校の先生に引率されて公民館へ移ったそうで、何事もなく事態が治まって本当にほっとしました。けれど、精神的にはなんだかとっても疲れました(+_+)

警報が解除されてからは渋滞も解消したようですが、教訓て生かされないなぁ~と思ってしまいました。いや、それ以前の問題なのかな??
安全に行動しようにも、危険な海沿いの国道を迂回するための道が無いのではどうしようもありません。基幹農道を広く整備するとか、獣道のような山道を“道路”にしてそれにつなげるとか、あのとき切実に必要性を感じたのに今も手付かずのままなことが、とても歯がゆく思えました。
ていうか実際は、壊れたところ傷んだところを『直す』のに精一杯で、まだまだそこまでは手が回っていないのかもしれません。

今回の地震&津波は、もしかしたらそんな途中経過の確認だったんじゃないかしら とか思ってしまいます…。復旧・復興面のみならず、防災や危機管理の意識という面でも、自分も実際に避難してみて初めてわかることがあるなぁと思ったのです。


今回の警報では津波の予想は1mだったので、普通に考えれば学校もうちの職場も全然大丈夫なのですが、そうは思っていても、避難中は気持ちが落ち着きません。
自宅や家族や大切な人たちのことは気にかかるし、自分が寒くても不安でも 子どもたちが大勢居たら大人はしっかりしなきゃいけないんだろうなと思うし、けれど正直 安全確認のメドが経つまではどうしたらいいかもわからないのです。何が正しいかを瞬時に判断するのはとても難しいと思いました。

シリアスの度合いは全然違うけれど、3月11日、たくさんの人がこんな思いをしたんだろうなぁと、疑似体験させてもらった感じがします。(もちろん大きな被害が無かったからこんなのんきなことを言えるのですが)


それから、印象的だったのが、一緒に避難した子どもたちの反応でした。

地震直後のサイレンに、『マジこの音トラウマなんだけど!!』と言っていた子。
避難中に、『また全部流されたらやだなぁ』と ぽそりと呟いた子。
避難場所にゲームを持ってきて、『だって買ったばっかで流されたらヤだし!(笑)』と言っていた子。
毛布にくるまってキャッキャ言いながら、『あのときみたいだね~雪降って寒かったよね~』と言っていた子たち。

どれも何気ないトーンで話された日常の延長の言葉なのですが、だからこそ、『被災』や『防災』がこの子たちの日常の中にあるんだ・あったんだなぁと思いました。それも組み込まれての、彼ら・彼女らの『普通』が出来ていくのです。


『震災』は 過ぎたことではなく、むしろ終わってすらいません。大きな“非日常”を経験したこの地の人たちが、その痛みを内包して前を向いて行くこの先に、これ以上、その足元を挫くような災いがどうか起こりませんように と、祈らずにいられません。
余震も予言も穏やかに治まってくれますように。


…えーと、

真面目なことを書こうとすると上手くまとめられなくていつもこんな長文になってしまうのですが…
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます
話をコンパクトにまとめる練習しておきます(-_-;)


タイムリーに、防災や復興に関しての明るい話にも最近出会ったのですが、それはまた今度(^_^;)
 
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